「すべての悲劇はコメディを勘違いしたものである」。
劇作家・詩人ウィリアム・シェイクスピアのことばだ。ボクは人一倍臆病で、心配性である。家族や同じ釜の飯を食った高校野球部の連中、悪友、恋人、その誰もが認めるところだろう。そんなボクが、女手一つで育ててくれた母の嘆きをよそに、就職わずか1年で、安定と将来性に満ちた大企業に辞表を出したのは、3年前のことである。
「ソーシャルビジネス」と呼ばれる、人によっては曖昧模糊にしか見えない事業立ち上げをたくらみ、以来、数えきれないほどの「無理」という突っ込みを浴びながらも、いまなお、前例のないビジネスモデルの展開に挑んでいる。意気地なしのボクが「起業」という名の大ばくち。毎日あたふた駆けずり回っている姿は、まさにコメディそのものだ。
「あっ、それ、無理」
「いや、あの人、無理だから」
いつの頃からか、「無理」ということばをよく耳にするようになった。もはや日本人の口癖の一つである。このことばを突きつけられるたびに、寒気と恐怖をボクは覚える。
加えて、人々からの批判は起業家にとって悩ましく、つらいものである。なぜなら、事業や会社は自分の分身。手あかのついた言い方をすれば、すなわち「子ども」のような存在であり、自らのアイデンティティを形成し、表現する存在であるからだ。
しかも、できの悪い子ほどかわいいし、ほどんどの起業家は例外なく「親ばか」である。誰よりも小心者のボクが起業に賭け、誰に言われたわけでもないリスクを取り、あえて「無理」の壁をよじのぼり続けている。その理由は至極単純だ。挑戦できる環境に身を置けること。そのありがたさを思い知ったからである。
2012年から2013年にかけて、ボクはインド・ゴアにいた。大学の交換留学プログラムで半年間滞在する機会を得てのことだった。ゴアは16世紀から20世紀半ばまで、インドで唯一、ポルトガルの植民地になった地域で、キリスト教徒とヒンドゥー教徒が共存しているインドの中でも特殊な州である。
なによりもヒッピーの聖地として有名であり、世界中から多くの人々を惹きつけてやまない。種々雑多な思想や文化、宗教、哲学、人種が集結し、混じり合う、なんとも不思議な街だ。
インドにはいまだカースト制度や貧富の差が色濃く残っている。出自によってすべてが決められ、そこからは容易に脱出できない。世界の長者番付に載る超富裕者層がいる一方で、街で野垂れ死にする子どもや生活のためにわが子を売る親も珍しくはない。
「そうするしかない」という不条理を背負いながらも、彼らはたくましく、したたかに生きていた。
対して、自分はどうだ。
両手に余るほどの機会や選択肢をあたりまえのようにとらえてきた。しかしそれは、自分に与えられた、極めて幸運な特権だったと気づく。そして、特権を行使するのであれば、その行動にふさわしい覚悟と責任を持つべき。そう考えるようになった。